日本を代表する作曲家であり、シンセサイザー奏者そしてサラウンドアーティスト・エンジニアでもある冨田勲氏。2011.6.19、同氏を本校に招き、セミナー「サラウンド音楽の可能性と実際」を開催しました。
1週間が経ちましたが、しかしよくぞ実現できたなぁと感慨深く思っています。
5.1chサラウンド担当教員の飯嶋先生、よくやりましたね。
セミナーのレポートはサウンド分野ブログに後にあがるでしょうから、セミナー直前の楽屋や夜の懇親会でむさぼるようにお聞きした話を掲載します。
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終戦後、みんなと繋がる唯一の方法が鉄道であった。レールで繋がっている安心感があった。
初めてレールの無い乗り物に乗った、それが神戸から出向した中国航路の船であった。
神戸から天津へそして北京へ。
一晩明けて見えた海岸線が非常に美しかった。美しい国に来たと兄弟で大いに喜んだが、そこは瀬戸内海であった。当時の船は遅かった。
関門海峡を越えると波が違った。大いに酔った。
父親は医師であり、漢方薬に強く興味を持っていたので、現地へ進出していた企業の嘱託医として志願しての大陸行であった。
海と乗り物と言えば、大阪から白浜の温泉へ行くのに、当時は飛行艇であった。
“神戸の音と言えば汽笛が名物”に対し
汽笛は船が音を止めても方々に反響して鳴り止まない。子供が近くで聞けば恐ろしいぐらいの迫力だ。
サラウンドというものは、簡易なセットでも十分に楽しめるものでないとけない。
100万円以上かけて存分に楽しめるのが2~3人というところからのスタートが良くなかった。
サラウンドというのは子供が興味を持つものでなければお母さんも興味を示さないだろう。
コンビニで子供とお母さんを無視した品揃えをしたら売れない。
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