ここ10年で1番になるであろう本と出会いました。
渡辺京二著「逝きし世の面影」
昨夏、本校で「ひとり夜話@神戸電子」を開催してくださったオタキングこと岡田斗司夫氏が Twitter 上での公開読書にこの本を選んでおられたのがきっかけで、ここ2ヶ月で6回は読み返しました。
文化人類学上、輪の中の人間は自分達の文明の特質を客観的に見ることはできないとの観点から、江戸末期の日本を書き記した異邦人達の膨大な記録を精査した全604ページに及ぶ大作です。
” 日本近代が古い日本の制度や文物のいわば蛮勇を振った精算の上に建設された ”
” その精算がひとつのユニークな文明の滅亡を意味した ”
” われわれはまだ、近代以前の文明はただ変貌しただけで、おなじ日本という文明が時代の装いを替えて今日も続いていると信じているのではなかろうか ”
” 1回かぎりの有機的な個性としての文明が滅んだ ”
「 日の輝く春の朝、大人は男も女も、子供らまで加わって海藻を採集し、砂浜に広げて干す。……漁師のむすめたちが膝を丸出しにして浜辺を歩き回る。藍色の木綿の布きれをあねさんかぶりにし、背中に籠をしょている。子供らは泡立つ白波に立ち向かったりして戯れ、幼児は砂の上で楽しそうにころげ回る。男や少年たちは膝まで水につかり、あちこちと浅瀬を歩き、砕け散る波頭で一日中ずぶぬれだ。……. 婦人達は海草の山を選別したり、ぬれねずみになったご亭主に時々、ご馳走を差し入れる。あたたかいお茶とご飯。そしておかずは細かにむしった魚である。こうした光景すべてが陽気で美しい。だれもかれも心浮き浮きとうれしそうだ。だから鎌倉の生活は、歓喜と豊潤から成り立っているかのように見え、暗い面などどこ吹く風といった様子だ」イライザ・シッドモア(米/1856 〜 1928)
「 日本人など嫌いなヨーロッパ人を沢山知っている。しかし日本の子供たちにみりょうされない西洋人はいない。」「 日本人の生活の絵のような美しさを大いに増している 」のは「 子供達のかわいらしい行儀作法と、子供達の元気な遊戯 」だった
” いとしがり可愛がるというのはひとつの能力である。しかしそれは個人の能力ではなく、いまは消え去ったひとつの文明が培った万人の能力であった ”
” 江戸社会の重要特質のひとつは人びとの生活の開放性にあった ”
「 どの都市でも、夜毎、歓楽街は楽と踊りで賑わいにあふれている 」
「 この国の文明が、人間の生存をできうる限り気持ちのよいものにしようとする合意とそれにもとづく工夫によって成り立っていたという事実 」
時代劇でお馴染みの江戸期の町人や漁村農村の風俗情景とは大きな違いがあるようです。
懐古ではない温故知新。
我々がまだ知らないこの文明は、我が国の新しい生活価値観を築く上で大きなヒントになる気がします。
21世紀を通じ尊敬されるであろう国はまだ決まっていません。
日本赤十字社 東北関東大震災義援金