40代からのバーニングマン ー 出発編 ー

2011.9.16

CATEGORIES:海外

違う何かを求めて
  

                                       (昨年参加者投稿ビデオ)
 
最も過酷で最も美しく、そして最もエキサイティングなアートフェスティバル、バーニングマン。
その名を初めて知ったのが何年前で、誰のブログだったのかも忘れましたが、” 受け身ではないフェス ” として強烈な印象を持ちました。その後何年かして、NORISHIROCKS hidetwoさんからその概要とコンセプトを聞き、いつか参加してやろうと思うように。
 
本年3月、敬愛するゲームクリエイター 水口哲也 さんとの食事中、何故かバーニングマン(以下BM)の話になり盛り上がる。 Burning Man 2011の空に、 Child of Eden に出てくるクジラを飛ばしに行くとか。
ぐっと来るものを感じ、その場で即決。 ” 僕も行きます ” と。
ここ数年、日本人はそのライフスタイルを転換すべき時期に来ているのではないか、特に3.11以後はこれを強く感じていたので、何かが符合する音が鳴りました。
加えて、水口さんは僕がいつも元気をもらっている楽曲 Heavenly Star を世に出した 元気ロケッツ の中の人である事がわかり、若者の言葉で言うところの ” テンションが上がっていく ” のを感じました。
 
そして5月、アジアコンテンツフェスティバルのゲストとしてお招きしたデザイン界の巨匠黒崎輝男さんが、刺激的な講演をされた後で、” 意識を変革するにバーニングマンは最高だ ”と。
 
更に6月、Google社で、アジア太平洋地域ウェブマスターを務める川島優志さんを招いての特別講演で、以下を知りました。
 
 創業者のラリー・ペイジと同じくセルゲイ・ブリンがバーニングマンに行きたく思ったが、社員少なき頃につき、
 誰かがサーバを見ないといけない。「じゃあ、自分たちがバーニングマンに行ってることがトップページで分かる
 ようにしておけばいいんじゃないか?」となり出来たのが、Google ホリデーロゴの始まり
 

 
チケットをネットで購入後数週間で売り切れが発表される。
通訳も兼ね、同行をあてにしていたLAの友人から行けない旨の連絡が。その3日後、別でLAに住む友人の友人、MOKOさんから、「 BM行くそうですね 」と Facebook メッセージが。即 ” 現地で合流しましょう ” と。
 
YouTubeでBMの情報を報道していた、神戸出身東京在住、 KNN(Kanda News Network)の 神田敏晶 さんに連絡を入れたところ、BM参加14回の強者で、BMを国内に紹介する写真家 ビンセント・ホアン さんを紹介される。
 
もう何かに引き寄せられているかの様に準備を進めました。
 
 

 
ネバダ州リノ空港の荷物受け取り。ザ・マンが。街おこしですね。
 

 
ビンセントさんと、スイス、コロラド州からのバーナー(BM参加者)がキャンピングカーで迎えに来てくれたので、もうBMの世界に入ってしまおうと、レンタカーとホテルをキャンセルし、バーナー達の中継基地となっているブラック・ロック・バーナーズ・ホステルへ行くことに。迎えに来て頂いたお礼にカーステレオでテクノ盆を聴いていただく。
 

 

 

 
バーナー達はバイク(自転車)のデコレーションにしのぎを削る。
 

 

                                         写真提供: Vincent Huang
 

                                         写真提供: Vincent Huang
 

 
バーナーの送り出しが一段落し、くつろくビンセントさん。結局2泊、ここで受け入れと送り出しをすることに。
 
 
 
今思えば、BMタイムへと慣れていくこの時間の流れが良かった。
 

 
ホステルの主、ハギーさん。世界中から集まるバーナーの世話役。BMのゲートに入る前に起こった様々な問題の解決に付きそう、或いは共に解決していく機会を得れたこと、良い思い出、そして学びになりました。
 

 
ハギーさんのキャンピングカー。映画でよく見かける型式。ボディが木造。大扉のロックには3人がかりで押さえつけて、電ドルでスクリューアップ。
 

 

 
往路、ビンセントさんに同乗して借りることになったトラック。右扉の窓が閉じない。会場は想像を絶する量の砂埃が舞っているので、ゴミ袋をガムテープで貼りつけ防御。
帰りの車が有るのか無いのかこの時点ではわからないが、BM流に ” なんとかなるさ ” と。
 

 

 
徐々にらしい風景へ。
 
 
関連:
2011.9.11【 最も過酷で最も美しく、そして最もエキサイティングなアートフェス、バーニングマン
2011.9.23【 40代からのバーニングマン ー エントリー編 ー
2011.10.13【 40代からのバーニングマン ー 初日雑観編 ー
2011.11.1【 40代からのバーニングマン ー アート編 ー
2011.11.19【 40代からのバーニングマン ー キャンプ 編 ー
2011.11.24 【 40代からのバーニングマン ー アートカー編 ー
2011.11.29 【 40代からのバーニングマン ー バイク 編 ー

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MOOG System55

2011.9.12

CATEGORIES:学校・教育 ,音楽


 
神戸電子所有機材の中で最も思い入れのある MOOG System55。
電源回りのオーバーホールに出す前に、明るいレンズが届いたこともあり、撮っておきました。
 
国内に残る動作個体としは最も程度がいいようで、修理終わり帰って来次第、冨田勲氏と面白いことをやる予定です。
驚きましたが、冨田さんを知らない若い方もいるので。冨田さんは同シンセを日本で初めて輸入したシンセサイザーアーティストで、日本テクノ界の始祖として世界的に認知された最高峰のクリエイターです。
ホルスト「惑星」をMOOGの多重アンサンブルでもって制作したオリジナル盤、聴いたことが無い方は是非、聴いていただきたい。
 
今となっては単音ではたよりなく感ずるMOOGシンセ音ですが、アンサンブルとなるととてつもなく ”太い” です。
 
今は中断していますが、ネットでの音声信号配信 ” MOOG ENDLESS ” 再開したい。

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最も過酷で最も美しく、そして最もエキサイティングなアートフェス、バーニングマン

2011.9.11

CATEGORIES:海外

” 確固たる ” の冠を脱ぎ払い、国内各産業界が大きく、そして早く変化しているこの時。そして、日本人が最も不得意なこと、そのライフスタイル変化について真剣に考え始めたこの時。
最も過酷で最も美しく、そして最もエキサイティングなアートフェス、バーニングマンに参加してきました。
 
Burning Man 2011
 

 
The Man、最後に燃やされることからバーニング・マンの名が。
今年はその歩を前に進めている。
 
約1週間のフェス参加。渡米しての前準備や後片付けを含めた全体日数確保に始まり、様々な困難を剥がしつつの参加でしたが、結果大正解でした。得るものが大きかった。
 
本フェスでは、その最も重要なコンセプト ” No Spectator( 傍観者になるな )” が全参加者に問われます。
この点、本当に素晴らしい。
 
2011.5.8【 3.11以後の最大のヒントがここに ” 逝きし世の面影 ” 】でも書きましたが、我々日本人の祖先は、今では信じ難いことですが、世界から羨まれるほどに、日々の生活を楽しむ天才であったようです。しかも大多数を占めた町民、村民が。一人一人が街の主役感を持って生きていく。これと根源で通づる何かが有るのではないかと直感していました。
仮想都市 ”Black Rock City” の重要な主役達。
 

                                   ( 上掲載写真は Big Picture より )
  

                                   ( 上掲載写真は Big Picture より )
 

 

 

 
昼に夜に、光に音にと、縦軸横軸使い切った体積の圧を感ずる発信で満たされていました。 
 

                                   ( 上掲載写真は Big Picture より )
 
Praya と呼ばれる中央の広場、それを取り囲む居住区やその街路の全てが ” 場 ” となる。とにかく広大です。
 
場所は米国ネバダ州、カジノでラスベガスに次いで有名なリノ市から車で3〜4時間。干上がった湖後の砂漠。何も無い砂漠に、1週間だけ、同州3番目の都市ができあがります。今回は54,000人(関係筋)でチケットが売り切れになりました。一人300ドル前後の参加費を払い、十分な下調べと計画、準備、そして開催期間中は計画の実装を行い、” 生き長らえながら ” という表現が相応しい中での発信。日本人の日常感からは常軌を逸しています。ただ米国人からみてもそれは同じなようで、道中出会った人たちからは、皆一様に「 いつか行きたいと思っている amazing ! 」の声が。
  

                                   ( 上掲載写真は Big Picture より )
 
会場内での金銭の授受は禁じられ、オーガナイザーが用意するバーでの飲み物と、食料の鮮度を維持するための氷だけが販売されます。
汲み取り式のトイレは用意されますが、それ以外の生活必要品は全て自分たちが持ち込み、きついリサイクル規定が課せられています。
give & give。 ウッドストックでのライブがこんな感じだったのでしょうか。日本人の不必要なお節介を省き、高度な親切心で満ちあふれていました。これを情緒と呼ばずになんと呼ぶのか。ここが結構つぼとなりました。
 

 
自転車の上から思わず撮り合ったこの方のゴーグルとカメラから、その過酷さが伝わるでしょうか。
Google に勤める方の話では、同じスキルを持った技術者が採用面接に残った際、バーニングマンを経験した人を採るのだとか。
 

 
1週間という限定期間が特にそう思わせるのか、美しい。
 
今、この1週間に受けた刺激、衝撃、フィール(日本語で表現したい)そしてその考察が、今最も重要なものになっています。アートとは何かの答えが見つかったような気がします。
しばらくレポートを続けますね。
 
 
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