違う何かを求めて
(昨年参加者投稿ビデオ)
最も過酷で最も美しく、そして最もエキサイティングなアートフェスティバル、バーニングマン。
その名を初めて知ったのが何年前で、誰のブログだったのかも忘れましたが、” 受け身ではないフェス ” として強烈な印象を持ちました。その後何年かして、NORISHIROCKS hidetwoさんからその概要とコンセプトを聞き、いつか参加してやろうと思うように。
本年3月、敬愛するゲームクリエイター 水口哲也 さんとの食事中、何故かバーニングマン(以下BM)の話になり盛り上がる。 Burning Man 2011の空に、 Child of Eden に出てくるクジラを飛ばしに行くとか。
ぐっと来るものを感じ、その場で即決。 ” 僕も行きます ” と。
ここ数年、日本人はそのライフスタイルを転換すべき時期に来ているのではないか、特に3.11以後はこれを強く感じていたので、何かが符合する音が鳴りました。
加えて、水口さんは僕がいつも元気をもらっている楽曲 Heavenly Star を世に出した 元気ロケッツ の中の人である事がわかり、若者の言葉で言うところの ” テンションが上がっていく ” のを感じました。
そして5月、アジアコンテンツフェスティバルのゲストとしてお招きしたデザイン界の巨匠黒崎輝男さんが、刺激的な講演をされた後で、” 意識を変革するにバーニングマンは最高だ ”と。
更に6月、Google社で、アジア太平洋地域ウェブマスターを務める川島優志さんを招いての特別講演で、以下を知りました。
創業者のラリー・ペイジと同じくセルゲイ・ブリンがバーニングマンに行きたく思ったが、社員少なき頃につき、
誰かがサーバを見ないといけない。「じゃあ、自分たちがバーニングマンに行ってることがトップページで分かる
ようにしておけばいいんじゃないか?」となり出来たのが、Google ホリデーロゴの始まり
チケットをネットで購入後数週間で売り切れが発表される。
通訳も兼ね、同行をあてにしていたLAの友人から行けない旨の連絡が。その3日後、別でLAに住む友人の友人、MOKOさんから、「 BM行くそうですね 」と Facebook メッセージが。即 ” 現地で合流しましょう ” と。
YouTubeでBMの情報を報道していた、神戸出身東京在住、 KNN(Kanda News Network)の 神田敏晶 さんに連絡を入れたところ、BM参加14回の強者で、BMを国内に紹介する写真家 ビンセント・ホアン さんを紹介される。
もう何かに引き寄せられているかの様に準備を進めました。
ネバダ州リノ空港の荷物受け取り。ザ・マンが。街おこしですね。
ビンセントさんと、スイス、コロラド州からのバーナー(BM参加者)がキャンピングカーで迎えに来てくれたので、もうBMの世界に入ってしまおうと、レンタカーとホテルをキャンセルし、バーナー達の中継基地となっているブラック・ロック・バーナーズ・ホステルへ行くことに。迎えに来て頂いたお礼にカーステレオでテクノ盆を聴いていただく。
バーナー達はバイク(自転車)のデコレーションにしのぎを削る。
写真提供: Vincent Huang
写真提供: Vincent Huang
バーナーの送り出しが一段落し、くつろくビンセントさん。結局2泊、ここで受け入れと送り出しをすることに。
今思えば、BMタイムへと慣れていくこの時間の流れが良かった。
ホステルの主、ハギーさん。世界中から集まるバーナーの世話役。BMのゲートに入る前に起こった様々な問題の解決に付きそう、或いは共に解決していく機会を得れたこと、良い思い出、そして学びになりました。
ハギーさんのキャンピングカー。映画でよく見かける型式。ボディが木造。大扉のロックには3人がかりで押さえつけて、電ドルでスクリューアップ。
往路、ビンセントさんに同乗して借りることになったトラック。右扉の窓が閉じない。会場は想像を絶する量の砂埃が舞っているので、ゴミ袋をガムテープで貼りつけ防御。
帰りの車が有るのか無いのかこの時点ではわからないが、BM流に ” なんとかなるさ ” と。
徐々にらしい風景へ。
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