人と防災未来センター
1995年1月17日の 午前5時46分。 阪神・淡路大震災を引き起こした最初の地震が観測された時間。
あの地震を体験した者には忘れられない時の刻み。
神戸の中心地三宮の繁華街 ”東門筋” 山側入口に建つ、きりんビルの外壁にこの時刻で止まったままの時計が掛かっています。 お会いしたことは有りませんが、ビルオーナーの思いに共感します。
事この震災の被害については、15年が経つ今も多弁にはなれない。
2005年もそうでしたが、何周年とは呼びたくありません。
今朝、例年と同じく静かに、黙祷をささげました。
神戸市立吾妻小学校の臼井真教諭が作詞作曲され、震災を経験した小学生達と共に世に送り出した
「 しあわせ運べるように 」
この歌と出会ってからは、これを自然と口ずさむとき、それが関係犠牲者への弔いの時となっています。
まだご存知無い方は是非、お聞きください。
地震の年、神戸新聞に政府公告として、災害対策10か条が掲載されました。
その第1条に書かれていたのは、水、食料の備蓄や発電機の常備等ではありません。
「 家族友人等、大切な人との緊急連絡先を決めておく 」
という内容でした。
生きているのか。 当時我々は、在校生の安否を最後の一人まで確認するのに大変な日数を要しました。
遠方の親戚等、自宅、職場(学校)以外の連絡先を取り決め、常備しておく事が大切。 これは職員で議論した際にも優先順位の高い事項として合意しました。 情報化社会 = コンピュータ化社会と捉えるよりも、多くの人々が密接にかかわり合っている社会としてより深く捉えるようになりました。 通信の途絶 = 大きな心理的不安。 幅広い意味での通信の途絶は、想像を超えた痛さでした。
人類の成長のためにも、こういった教訓を継続して活かせる社会にして行きたく思います。
震災2日目、神戸電子は学生の安否確認を行いながら、私設の避難所を開設しました。
今すべきは、震災犠牲者を忘れない事。 そして ユニセフ・ハイチ地震緊急募金 等、あの怖さを 今 体験している人への 直接的 支援。