【イベントレポート】黒崎輝男スペシャルセミナー(前編)

学校からのお知らせ

2011.07.15

■前編

2011年5月30日「神戸電子専門学校」ドームホールにて

神戸電子専門学校を会場にしてのACF(アジアコンテンツフェスティバルin神戸)ゴールデンウィークのスペシャルセミナーのラストを飾ったのは、オリジナル家具や雑貨などを扱う(株)イデーの創設者であり、日本のプロダクトデザインの潮流を変えたデザインプロデューサー、黒崎輝男さん。3.11の東日本大震災以降を生きる、すべてのクリエイターに向けられたメッセージ。まずは、その全編をレポートいたします。

●生活スタイルが変わって来た

黒崎:いままでは僕たちは安全で平和な生活っていうのを目指していた。そのためには大きい会社に行き、みんな電波を使いエネルギーをいっぱい使っていた。

(衛星写真を見せる)

黒崎:これは人工衛星から見た日本の様子です。文明が栄えている所程明るいです。大阪、神戸、横浜、東京が煌々として見えている。おじさん達が思っていたのはいっぱいごみを出し、いっぱい電力を使っているのは文明の証だと言われて、きたわけ。こうやって光っている所にヒトが集まるようになってきた。それで都市人口が農村人口を上回って、田舎と都会が逆転して田舎にはヒトがいなくなってしまった。社会全体がそういうふうになってきた。

(新宿、六本木、証券取引所、湾岸の高層マンションの写真を見ながら)

黒崎:こういう所に住んで、大企業に勤める事が唯一の幸せのパターンだと思われていたわけ。これがある種の一瞬の美意識としてあった。

でも、都会にずっと生まれ育って来たヒトは『これ、ちょっとかっこよくないんじゃないかな?』と思いだして来ました。

(ベントレーの写真)

黒崎:例えば、車。質問ですが免許持ってて車乗ってる人はどのくらいいます?

参加者:(1割程)

黒崎:自転車乗ってる人は?

参加者:(半分くらい)

黒崎:新聞は取って見てる人は?

参加者:(少ない)

黒崎:そうすると最近の兆候としては、免許は取るけど車には乗らない、後は新聞は取るけどネットや友達から情報を得る。そういう人が凄い増えている。世の中はこういう風に凄い勢いで変わって来ているんだよね。今、分かったようにそういった文化や考え方も変化して来ている。昔は車等にステータスがあり憧れあった。女の子とかも「あんた何の車乗ってるの?」見たいな(笑)。それが一種のお洒落だった。

(自然の借景を取り入れたブランドショップの写真)

黒崎:例としてファッションの頂点のもエルメスやシャネルなど兆候も変わりつつある。

(マーク・ニューソンの家具の写真)

黒崎:サーファーがこんな彫刻みたいな家具を作ったり、みんなこういうスマートで奇麗なデザインで、若い人たちが見るとちょっと方向が変わって来てるなって皆さんも思うでしょう。兆候は実際に見えて来ている。さっきの、豪華なマンションのイメージとは違うでしょう?

黒崎:「電気をどんどん使っているだけじゃ、立ちいかなくなってるぞ」というのは、デザイナーだとかそれからむしろ若い人の方が分かって来ているのに、おじさん達は相変わらずストックブローカーで金融とファイナンスやって来てるけど、リーマンショックで崩れて来ている。

(靴の写真)

黒崎:これはマーク・ニューソンが作った靴なんですけど、オークションで最初は3万くらいだったが15万くらいになっている。家具デザイナーがサーファーであったり、飛行機作ったりしている。家具デザイナーでスタートした人が靴まで作っていると、そういう時代になって来ていますね。ミュージシャンでも色んな曲を知っている事が前提で、それをどう組み合わせて、どうプロデュースするかみたいな形になって来ているんです。

(ビルの写真)

黒崎:アップルにいる友達のジョナサン、イギリス人だがデザインチームのリーダーなんです。彼もプロダクトデザインやっているが、こういうものを集めていて、、、

(「涼宮ハルヒの憂鬱」アニメのスチル)

黒崎:ナイキの社長のマークパーカーだがその前のフィルナイトがつくった。
元々日本の運動靴を集めてて、それで今は彼もこれをあつめてる。

(「けいおん!」アニメのスチル)

黒崎:実は東京に来ると、彼らは中野ブロードウェイなどでこういうフィギュアを一杯集めてたりする。それは、なぜか?彼らは「日本の若者の動向みたいのが世界のセンスを決めてる」と言っている。それを凄い勉強している。

(パリで村上隆アートイベントの写真)

黒崎:これもパリでやったアートイベントだけど、日本の作家があえて古いクラシックな建物の中で、フィギュアをイメージしたアートを展示している。これが、どういう事かっていうと、日本の社会ではビルが奇麗、プロダクトが奇麗、という一方で、こういうキャラクターだとかの流れがある。彼らは、それが実は「ヒューマンである」と感じているんです。

黒崎:みなさん「鳥獣戯画」って知ってますか?動物、植物なんかの生きてるものを擬人化、キャラクター化するのが、歴史的に見ても日本はうまいんです。それをどう組み合わせ同プロデュースしていくかみたいのがあって、例えば、カオスラウンジのような流れを作っているんです。それが、アートの最前線になって来てるわけです。プロデュース能力。こういうものが、日本が世界に注目されているひとつの流れであるわけですね。

●Wheels for the mind

黒崎:ここで考えましょう。今のような社会に、皆さんは親しみをもっているだろう。だが、どうしてなんだろう?日本の一方では高いビルがが建ってるけど、なんかどっかあぶない。どこか危うい中で、いままでの社会は作られてきた。その中で、アート、音楽、映像が好きでキャラクターがありフィギュアがあるんですよ。

”Wheels for the mind.”

黒崎:この言葉の意味はなんだかわかりますか?これはアップルコンピュータを創業した時に最初に作ったテーマなんです。最初にコンピュータは計算機にすぎなかったけど、伝達の双方向端子になった。それによって情報があっというまに広がってしまった訳です。

黒崎:冷戦中に、ソ連が人口衛生を飛ばした事によって、情報を上から撮られちゃうようになった。情報が筒抜けになると戦争に負けちゃう。そんな所からアメリカは、国防総省に頼んでどうにか守るための情報網を作ろう!という事になった。それが「WWW」。Web(クモの巣)のように、地球を囲って防御するためのコンピュータ網を作ろうと、国家の戦略としてアメリカが始めたんです。

黒崎:一方では、ヒッピーカルチャーの延長でコンピュータ好きの理科系のヒッピー少年が会社を作った。それがアップルコンピュータです。当時、一種のコミューンみたいな状況が西海岸にあった。みんな自転車に乗り、ガレージでコンピュータをつくった。そのときのテーマが「Wheels for the mind」なんです。「Wheels」って自転車のタイヤ。自転車が身近だった彼らにとって、コンピュータは「Wheels」に例えられた。「考えるための一番の武器」として、「自分の身体の一番先にある物としてのコンピューター」という発想があったんです。

黒崎:自転車っていうのは、エネルギー効率が一番良く、自分の力を最大限発揮する乗り物です。コンピュータも同じ。自分の力、自分の考えた事を最大限発揮する
というイメージで作られていた訳です。

黒崎:コンピューターには自転車社会が想定され作られていた。自転車があり、ソーラーパワーがあり、コンピューターがあれば後は何もいらないよ、っていう社会のをイメージして70,80年代につくられた。しかし、金融でうまくいってリッチな感じになってしまったんですが、最近またおかしいんじゃないか思われて来ているわけです。

(アップルコンピュータ最初の宣伝スチル、マッキントッシュPLUSの紹介)

黒崎:自転車とコンピューターだけあればいいという感じです。マウスなんて、最初からなかったわけだから、ネズミに似てるからマウスって呼ぼうよ、とか、スイッチを入れると「hallo」と出るようにしようよ!とか、遊び心があった。ライフスタイルとしても「スーツを着たサラリーマン」じゃない人が儲ける!というスタイルができてきたんです。

黒崎:東海岸と西海岸ではまるで違う。西海岸のコンピューター系の人はみんなジーンズにTシャツスタイルになってきた。ぼくも西海岸の社長に会いにいったけど、入り口のガードマンはスーツ着てるんですが、どんどん偉くなるに連れて服装がダレて来る。最終的に社長はTシャツにジーパン(笑)東海岸は全く逆ですが、君たちみたいなカッコが一番偉いわけ。自由で、クリエイティブで、インスピレーションがあって、デザインもアートも分かってるやつが金持ちになる時代になってきた。

黒崎:実はアップルのデザイナーのジョナサンアイブが、当時、骨董市で何を買ってたかっていうと、ソニーの昔のトランジスタラジオ。

(ソニーのラジオの写真)

黒崎:これ、よーく見るといまのiPodにそっくりでしょ?原点は日本の電気少年たちが作ったもの。それが今のアップルの原点になっている。

黒崎:ナイキのマークパーカーも同じように日本のオタクの物を集めていた人。大企業なのに美大系、デザイン系のヒトが社長になってしまった。「デザイン」っていうのは、社会のキーになって来ている。今の流れは、いわゆる受験勉強をしない人たちが作って来ていると思うんです。

黒崎:ナイキは設立の当時、お金無かったから学生にたのんでパッとマークを作った。それで、ここまで来た。代理店に多額のデザインフィーを払って作ったものじゃない。ちなみに、ナイキの本社なんかは大きな体育大学の様なんでうすが、どこにも「ナイキ本社」なんて書いてない。マークが書いてあるだけ。そういうノリなわけ。時代が凄い変わって来てしまった。

【黒崎輝男/Teruo Kurosaki 】

流石創造集団株式会社CEO

1949年東京生まれ。「IDEE」を創業し、国内外のデザイナーのプロデュースを中心に”生活の探求”をテーマに生活文化を広くビジネスとして展 開。「東京デザイナーズブロック」「Rプロジェクト」などデザインをとりまく都市の状況をつくることに継続的に取り組んでいる。2005年流石創造集団 (株)。同年9月、廃校となった中学校校舎を再生した『世田谷ものづくり学校(IID)』内に、新しい学びの場『スクーリング・パッド』を開校。2009 年、自由に教え自由に学ぶ「自由大学」を開講。国際連合大学文化顧問。

■KUROTEU BLOG:http://www.kuroteru.com/

SHARE
  • LINE
  • Facebook
  • X
  • Youtube